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松川村
松川村移住体験談 藤丸様ご夫妻
update : 2021.08.18
写真(北アルプスと松川村)、地図:松川村役場提供
松川村は雄大な北アルプスのふもと、美しい田園風景が広がる自然豊かな村です。国道147号や北アルプスパノラマロードが南北に走り、村内にJR大糸線の駅が3駅もあるため近隣市町村への通勤•通学•買い物にも抜群のアクセスです。賃貸住宅大手が発表した長野県内「住みここちランキング2021」では初ランクインの5位に躍進しました。また、平成28年から移住定住促進にも力を入れ、役場内に「噂の田舎へ案内係」を設け、定住促進補助金(最大100万円)などのサポートや子育て支援も充実しています。
今回、取材させていただいた藤丸さん夫妻は、東京から移住され、“地味だけど滋味豊かで素朴な味わいのおやつ作り”を心がけ「じみじみおやつ」として販売。卵や乳製品•白砂糖の力を借りずに、地元安曇野産の野菜や果物、豆製品などの食材をたっぷり練り込み、じっくり焼き上げた100%植物性のおやつは、夫妻の人柄のようにとてもやさしい感じがします。移住へのアドバイスや普段の暮らしについてお話を伺いました。
(藤丸曜晶さん(右)と邦子さん(左) 店舗兼自宅のベンチにて)
はじめに、移住された経緯からお伺いできますか?
曜晶さん ここに来る前は東京の西東京市で暮らしていました。今年の5月でこちらに移住して8年経ち、今は9年目に入りました。
邦子さん もともと独身時代も私は安曇野が好きで時々、旅行で来ていて、結婚してからも旅行で2回来たんですけど、2回とも同じ松川村の「旬菜の宿 ガーデンクラブ安曇野」というペンションに泊まりまして。オーナーの坂本さんとかなり仲良くなって、そのときは移住も考えてなく、ただ好きな趣味のことをお話しして、「いい人がいるから」みたいな感じで地元の方をいろいろ紹介してくださったんですね。それでその2回目の旅行の最終日の朝に夫が「こっちに住んじゃおうか」みたいな話を突然しまして、それがきっかけでした。
曜晶さん やっぱり、彼女が楽しそうだったから。当時、僕も仕事仕事で潤いがないというか、疲れきっちゃっていて、二人でいても都会じゃ楽しめないような状況になっていて。ちょうど、彼女が陶芸を習い始めて、楽しくなっていた時期だったので、こっちに来たときに「陶芸窯を見たい」と言ったら、「ガーデンクラブ安曇野」の坂本さんが村の陶芸家の方の工房に連れていってくださって。その陶芸家さんが半日がかりで、登り窯を案内してくださったのですが、彼女がものすごくテンションが上がっちゃって「こんな楽しそうな彼女見たことないな」と思いました。その日の夜に突然、「定年まで待ってこっちに来るよりは、ゼロから始めるならスタートは早い方が良いよね」という発想の転換が、自分の中で起こって、それで話してみたんです。
そのときはどのように感じましたか?
邦子さん 最終日の朝、起きて急に言い出したのでまったく寝耳に水で。ただ、もともと私たちは行動力があるタイプでもアウトドア派でもなく、それまでものすごく慎重に人生設計を立ててきたんですけど、そのときだけはまったく迷いがなく、乗ったという感じで、それでどんどん話が進んで。
そのとき夫は「何の仕事しよう」とかまったく考えずに言ったと思うんですけど、その前にもともと趣味でお菓子作りをしていて、夫のお弁当に持たせたり、知り合いに配ったりして評判も良かったので、もっといろんな人に食べていただいてもいいのかなと思い始めた時期でもあったんです。
なおかつこちらの野菜とか果物が抜群においしかったので、もしかしたら「それでいけるかも」というふうに急に、それまで飲食をやるなんてまったく思ってなかったんですけど、いろいろパズルが組み合わさったというか。それで二人ならこっちで食べていけるかもと思い、その後、ここに来るまでに一年かかるんですけど、何回もこちらに通って徐々に気持ちを高めていったという感じです。
移住の準備はどのようにされましたか?
曜晶さん 何をしたらいいか分からなかったので、安曇野の穂高駅前のお店とか回って、「移住のことを教えてくれませんか」と相談して…。何軒かは「そういうのはうち、やっていません」という対応だったんですけど、「クラフトショップ安曇野」という地元の方の作品を置いている店があって、そこがちょうど「安曇野案内人クラブ」というのも兼ねて地元のガイドさんのような人がいて「今度、有楽町で安曇野の移住セミナーがあるから参加されたらどうですか」と教えてくれて、そこに行ったのが最初ですね。ただ、その移住セミナーが自分たちにはあまり参考にはならなかったというか…。
邦子さん 私たちの中で原点が松川村だったので松川村しか頭になかったんです。その説明会の対象が安曇野全体のセミナーだったので、私たちが欲しい物件とか場所の情報とは少し違う感じで、いわゆる「引退してから移住しましょう」みたいな内容でした。ただ「いいことだけでなく悪い情報も知っておいたほうがいいですよ」ということは参考になりました。
そのなかで結局、松川村に通って地元「ガーデンクラブ安曇野」の坂本さんが松川村の不動産を扱っているお店を教えてくださって、主にこちらの地元で情報収集しました。私たちはインターネット検索も得意ではなかったので、こっちに来て地元を回って。あとカフェとかお店を開いている方が多いので、そういう方のところにお客として行って「実は移住を考えているんですけど」と話して情報を教えてもらうことの方が有益でした。
役場には相談されましたか?
邦子さん 当時は移住相談という専門の課がなかったので、移住の資料もなかったですし、助成金もなかったと思います。今は相談できる課もできましたし、空き家バンクもできましたし、いろいろ相談しやすいと思います。
不動産店ではどのような相談をされましたか?
曜晶さん 「ガーデンクラブ安曇野」の坂本さんは移住者のパイオニアで、いろいろ苦労されて人脈を広げられた方で、その不動産店の方に事前に僕らのことをお話ししていただいたこともあり、やりとりもスムーズでここを紹介してくださって、とんとん拍子というか。後で聞いたら賃貸の平屋の一軒家というのはめったに借りられないと分かったので本当にラッキーだったと思います。
邦子さん その不動産店以外にも参考になるかと思い、大町とか近隣の不動産店に行って何軒か見たんですけどイメージと違いました。結果的にはほかの移住者よりは物件数は多く見てないと思います。本当に運が良く「お菓子屋をやりたい、できれば工房を中につくりたい」という話をしたら坂本さんのおかげもあって、不動産店の方が、奥から「こういう物件もあります」と出してくださって。しかもここの持ち主の方が工務店の方で、気軽に工房として改装してくださったりして、本当にご縁が重なりここに決まったんです。なので、ここまでうまくつながりができたのなら、「途中でやめるべきではない、それに乗っかるのが一番いいな」と、さらに思いが強くなりました。
(「じみじみおやつ」の店舗にて)
曜晶さん 僕らの経験談として、個人店に行って、買い物しながら「移住したいんです」とか「物件を探しているんです」とかいろんな店でアピールしていると、ネットに上がっていない地元情報が「実は3軒隣の方が物件を売りたがっているよ」みたいな話が他に出る前に、地元に住んでいる商店主さんから上がってくることがあるので、地元のお店のお客になって相談してまわるというのは移住にすごく有効だと思います。
実際に暮らされてみていかがですか?
写真:松川村役場提供(公園墓地からの松川村の風景)
曜晶さん 池田も大町も安曇野もいいところなんですが、出かけて松川村に帰ってくると、すごく安心します。景色は池田町と変わらないんですが、松川村に帰ってくるとスッと体に馴染むところがあります。理由をあえて言えば、村の大きな観光施設は「安曇野ちひろ美術館」くらいかなという無欲な感じのところが僕らの波長に合ったんだと思います。
写真:松川村役場提供(安曇野ちひろ公園)
邦子さん 感覚的におおらかで、のどかで、温かみを感じます。先人たちからの積み重ねで人より前に出ようとか、そういうのがない雰囲気が全体的にあるんだと思います。でもだからといって閉鎖的ではなく、移住者も割と多いと聞きました。なので移住者を受け入れる態勢も昔からあったんだと思います。
坂本さんたちのように苦労された方のおかげもあると思うんですけど。こういうところに来ると自治会がかなり不安でしたが、移住者だからといって嫌な思いをしたことはなかったです。それがたまたま私たちの価値観や波長に合ったということだと思います。
暮らされて分かったことや変わったことはありますか?
邦子さん 夫は車の免許を持っているんですが私は持っていなくて。こちらに移住するときはいろんな方に「車は必要だよ」と聞いていたので、大丈夫かなというのもあって山の方ではなくこの辺で物件を探していたんですけど、住んでみると夫が持っていればなんとかなるかなと。
一人暮らしで車を持っていない方も何人かは知り合いでいるんですけど、村のバスやコミュニティタクシーを利用したり、知り合いのご近所さんに乗せてもらったり、なんとかそれでやっていけるという話は聞くので、必ず必要というわけでもないと思います。
(入り口のウッドデッキは夫の曜晶さんの手作り)
曜晶さん やっぱり僕は、価値観というか思考回路が変わったというのがこっちへ来て良かったです。象徴的な出来事として、入り口のウッドデッキなんですけど、地元の木工作家の方が見に来てくれて、「お店やりたいなら入り口をウッドデッキにしたら」と言われて。
僕としては木工作家さんが勧めてくださったので、「じゃあ、施工の方をお願いします。おいくらぐらいですか?」とお願いしたら「何を言っているんだ。このぐらいのことは自分でやるもんだよ」と言われ、結局、設計図を描いてくれて「ホームセンターでこの材を買って、こう切って、こう組み立ててやればできるんだよ」というようなことを言われて。そういう発想は都会にいたときは専門の人に任せてやってもらわなければできない、という考え方で、すごく抵抗があったんだけれども、のこぎりで切って何回か失敗して、最後になんとか完成しました。
最初は失敗するのが怖くて、もらった設計図の通りにできなかったらどうしようとか、1ミリずれたとか、角度が1度斜めになったとかが気になって前にまったく進めなかったのが、自分でのこぎり入れて、失敗してもできるんだということが分かって。そこから都会で持っていた価値観が変わっていきましたね。だからお金よりも生活力というか打開力みたいな、今あるものを利用して自分に便利な方に加工していくみたいなことが必要だと思っています。この棚とかも自分で作りましたし。
邦子さん もともと、くぎ一本打ったことなかったんですよ。自分で本を読んでいろいろ調べて、庭も今はほとんど夫がやっているんです。その辺は私よりずっと変わりましたね。
(庭の手入れは夫の曜晶さんが行なう)
冬の寒さはいかがですか?
邦子さん 私は鹿児島出身で寒さはとても苦手なんですね。慣れはしないんですけど、対処の仕方は分かるようになりましたね。移住したのは2013年で、その年の冬が大雪で庭の自動車が見えなくなるくらい埋まっていたんですね。もともと松川村はそんなに積らないと聞いていたのでその年は大変でした。
基本的に松川村は、生活に困るくらい降ることはあまりないですね。ただ、天気予報は都会にいるときより見るようになりました。これくらいの寒さだからヒーターの灯油はこのくらいでいいかなとか、それは経験で慣れてくると思います。それよりも季節の変わり目の方が私たちにとっては今でも体調を崩しやすくて、気を付けた方がいいと思います。春で昼は暖かくても朝晩は寒く、寒暖差にやられてしまうこともありますので。
これからこんなふうに暮らしていきたいな、というのはありますか?
曜晶さん 誤解をされるような表現ですけど、現状維持が大事だなと感じています。都会にいると上昇志向というか常に成長していなきゃいけないという価値観にしばられちゃうんですけど、やっぱり今の生活や商売を始めてから、続けていくというのが結構、大変なことだなというのが分かってきて。
写真:松川村役場提供(水田と有明山)
例えば、松川村の方は90歳になっても畑に出ているんですよね。たぶん70年ぐらいは畑をやり続けて毎年、同じようなパターンの中で「今年は雨が多いからこうしよう」とか創意工夫しながらも同じようなことをやり続けて現在に至り、いい年輪を結んでいます。
そのような方をお手本にしてわれわれも住んでいるんですが、たまにふっと都会的思考が頭に浮かんできて、「僕、田舎の片隅でこんなに毎日、草を刈ってばっかりで何してるんだろう」「僕だって何かできたはずなのに」と、思ってしまうことがあるんです。
でも多分、この辺に住んでいる方はそういうものを超えて、毎日毎日、畑や田んぼに出て何十年も繰り返して今に至って、それで現状を受け止めて生きているということなので、われわれもいかに今の暮らしを丁寧に生きて、その丁寧さの中でちょっと1日1ミリずつ何かを変えたり、学んだり、みたいなことを続けて、結果として「じみじみおやつ、つぶれそうだったけど、まだ30年経ってもあるね」みたいな、そんなような形になっていくのが、僕としては理想ですね。
邦子さん 同じですね。なるべく地元密着で地元のお子さんがおこづかい持って買いにちょっと立ち寄れるような空間として、ずっと続けたいなというのはあります。
駆け込み寺ではないですけど、結構、お話ししに来てくださる方もいらっしゃるので、おやつ屋としてだけじゃなく、「松川村のあそこに行けば、ちょっと話ができる」じゃないですけど、ホッとできる空間にしていきたいなと思いますね。そして自分たちが坂本さんや、村の方々から受けた御恩を村に返していきたいというのは私たち共通であって、村の小さな一部としてずっとやっていけたらと思います。
写真:藤丸さん提供(妻の邦子さんが手作りする「じみじみおやつ」)